chiakiのスピリチュアル日記

しっかりスピリチュアルではないけども、日頃のスピやカード占いなど、ゆる〜く発信します。

2022年、精神通院について思うこと

皆様お久しぶりです。色々あって前の記事からだいぶ間が空いてしまいました。ごめんなさい。

実は前の記事を書いたときは入院中でした。入院中に外出許可をとってあちこち出歩いていたのです。10月に退院しましたが、施設なのでやっぱり色々と不自由です。施設の中身についても書けませんしね。

退院後は規約で訪問看護をつけたり役所の訪問を受けたり、作業所も規約で決まっているので行かなくてはなりません。作業所は最低賃金が保証されてないので時給300円程度です。好きなことができるとはいえ、これで働いてると言えるのでしょうか?

なので2022年はこの環境を卒業することを第一の目標にしたいです。ところがですね、自分でなんとかしたいと思ってもどうにもならないんですよ。この時給じゃ卒業のための貯金をするのも難しいですし、しかも時間は拘束される。訪問看護だって決まった時間に部屋まで押しかけてくるのでやっぱり時間が拘束される。私にとって今一番貴重なものは時間なんです。みんな「体調に気をつけてゆっくり」とか「休みながら」って言うけど、そう言うことで私の時間をどんどん奪っていっているのです。体力がつく前みたいにダラダラしていると悪いものが入り込む隙間が出来てしまうのです。現実にちょっと前までの私はその悪いものにひどく追い詰められていました。

今、とてもいいご縁があって、強く守られるようになった実感があります。環境を卒業するにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、スピリチュアル的な準備は整った感じでとても嬉しいのです😆

一度精神病院に入院してしまうと、今の制度では一生病歴と、支援と称した拘束がつきまといます。こんなの精神の病気だけです。しかも障害者は貧乏に閉じ込めておけと言わんばかりに自立の手足を奪う。手取り足取りお世話を焼くことはその手足を動けなくすることです。多少厳しくても突き離さない限り、障害者が自立することはできません。本当に相手のことを思うなら、自分でやらせるべきです。だから自分でやろうとする人の邪魔をすべきじゃない。それで具合が悪くなって再入院するのなら、それが本当に自分で自分のやったことに責任を取るということなのです。邪魔して再入院になったのなら、それは邪魔した人の責任ということだと思います。そこが福祉の制度はひっくり返っていて、責任を取りたくないから手足を動けなくするんですよ。比喩じゃない場合もあって(身体拘束)、これは本当に洒落になりません。暴れてもいないのに。心の病気を治すべき医療現場が、いちばん人の心を狂わせる事をするんです。

すみません。思い出して熱くなっちゃいました。でも記述が止まらなかったので、これは神様が書かせてくださったのだと思います。ずっとこんな気持ちを抱えているのは辛かったです。多分私はもう守られているんだと思います。

次の記事がいつ更新できるかわかりません。現実的な救いの手が私に見えてないからです。でもこのことについては妄想じゃなく自信があるので、皆様安心していてくださいね。