chiakiのスピリチュアル日記

しっかりスピリチュアルではないけども、日頃のスピやカード占いなど、ゆる〜く発信します。

日本の精神病院のシステムと生命の敵

ブログでは初めて書きますが、私は統合失調症の診断を受けています。自分でも違うと思いますし、お医者さんの中にははっきり違うと言ってくれた先生方もいました。でも、だったらなんの病気なのか?ということは、その先生方にもわからず、結局診断は統合失調症のままなのです。

最近わかってきたことなのですが、私にはこの世に生まれる時に神様から授かった使命があるのです。私は宗教家、伝道師としての役割を持っているのだと思います。そのために神様から授けられた力が物語を紡ぐ力と絵や歌を通じて他の人たちにそれを伝える力なのです。一般的に宗教家や伝道師は厳しい修行の果てに悟りを得て、その後その生涯を人々を救うために使います。私の場合はその授かった力を存分に使うために、そう言ったこれまでの伝道師の方々の人生とは違う人生を歩むことになりました。

物語を紡ぐためには、色々な登場人物の心理を掘り下げなくてはなりません。そのためには、たくさんの人々の心と生活を知らなければなりません。その気持ちを知るために、どん底も経験しなくてはなりません。だから、27年もの間、精神病院へ入退院を繰り返すことになったのだと思います。

宗教家というのは、ほとんどの方が30過ぎに覚醒を迎えます。多分、そういう心のプログラムが初めからセットされているのではないかと思います。私も、覚醒を迎えたのは34歳の時でした。けれど精神的な修行をしていたわけではなく、毎日漫画家のアシスタントとして、デビューを目指していました。その生活で睡眠時間が削られ、一種の修行の形とはなったのですが、それまでの作家になるための人生の中で、人間関係に大きなストレスを抱え、また、デビューできそうなのに作品が会議を通らず、待たされる日々が長すぎて、それも大きなストレスになっていました。大きなストレスが重なりすぎて、覚醒した時にドーパミンという脳内物質が爆上がりしてしまったのです。頭の中に処理できないほど沢山のアイディアが次々浮かんでは消え、世界が海の波のように心に直接当たって砕けるような感覚を繰りかえし、孤独だった私は1人で大混乱に陥ってしまいました。自分1人ではどうしようもないと感じた私は、生まれてきた世界に帰りたいと思ってしまい、自分の体に取り返しのつかない大きな傷をつけてしまったのです。それまで自分に持っていた信頼は崩れ、拠り所を失った心が平常心を取り戻すまで実に27年の歳月を費やしました。

これまでの宗教家の方々もまた、厳しい修行でドーパミンが一時的に上がって幻覚を見たり、幻聴を聞くのだと思います。でもそれは一時的なもので、修行を終えて元の生活に戻ればドーパミンの量は自然に落ち着いて、感覚が元に戻り、布教の生活を送ることができたのでしょう。けれど私の場合は、その爆上がりしたドーパミンを抑えるために、大量の脳の薬を飲むことになってしまったのです。無理矢理薬で抑えたので、自然にドーパミンの量が落ち着くことがなく、何度も抑え付けられたドーパミンが急上昇し、発作のように具合が悪くなることを繰り返して、入退院しなくてはならなくなリました。

私は元々薬が嫌いでしたし、飲むとインスピレーションが遮られて物語も絵も書けなくなってしまうこの脳の薬が大嫌いでした。拒否しても無理矢理飲まされ、入院中は押さえ付けての注射にすらなってしまうこの薬を憎んでいました。無理矢理飲ませる病院スタッフや家族に対しても怒りが湧き上がり、隔離室の中で精一杯抵抗していました。いつも疲れて根負けして薬を飲み、外からは一見落ち着いたように見えるものの、それは抵抗するのに疲れ果ててしまっただけで、心の中の怒りは全く収まっていなかったのです。この大きな怒りが、私の心をずっと蝕んでいたのです。

最近になってYouTubeのタロット占いがきっかけで瞑想を知り、そこから心を整える方法を学んでいろんなことが見えるようになりました。直感も冴え、今は神様、天使様からのメッセージを、タロット、オラクルカードや生活のサインを通して知ることができるようになりました。自分は強いという思い込みを手放し、繊細で傷つきやすい心を認めてからは、心がとても自由になりました。ゆっくり休息し、心は病気になる前よりももっと安定したと思います。けれど、体が薬の影響から抜けられず、27年前に比べると薬はとても良くなっているのですが、創作をする脳にとってはやはりインスピレーションを妨げる異物でしかありません。私は神様が私に与えてくれた大きな役割として、光の物語を書きたいのです。直感が鋭くなってきたとはいえ、やはり創作物は正直です。私にとっては満足のいくものではありません。特に絵は、薬が増えると歪みがひどくなります。自分でそれがわかるので、薬とはやはり縁を切りたいのです。

 

とはいえ、薬が全ての人にとって悪というわけではなく、リスクorベネフィットでもあるので、全否定することは私にはできません。病院のスタッフも家族も、私のために良かれと思って薬を飲ませるのです。もはや怒ってはいませんが、困ったものだなあというのが本音です。やめて欲しいのも本音です。本当に病気が悪くて困っている方達には必要かもしれません。けれど今の私個人にとっては悪でしかないのです。今、状況はいつも具合が悪くなる時とほとんど同じで、眠れなくなり、頭の中にいろんなアイディアが湧き、ともすれば焦ってしまいそうになります。でもそこを神様からのサインやメッセージがとどめて下さったり、諭してくださったりするのです。休みなさいというアドバイスも下さいます。今は大きな変化の時なので、だから眠れないらしいのです。眠るための薬に頼らない方がいいらしいのです。

でも、こんな話を病院スタッフにしても、また病気が悪くなるからと、薬を増やされてしまいます。やっと薬がだいぶ必要なくなってきているのに、それでは今までと同じことの繰り返しです。

 

だから、教会に行くことにしました。行って、この堂々巡りを終わらせてほしい、薬ばかりに頼る精神医学会も変えてほしいと、自分と皆のために祈ろうと思ったのです。ところが実際に教会の聖堂に立ってみると、イエス様が十字架にかけられている様子があまりにも痛々しく見えて、長くそこに留まることができませんでした。私はまだスピリチュアルの領域では、生まれたての赤ちゃんのようなものです。まだ心に弱々しい部分がたくさんあって、不安定なのです。けれど、それを神様はちゃんとご存知で、私の心が傷つかないように、近くの喫茶店に祈りの場を確保してくださっていました。私はそこで、小さな声ですが、声を出して祈りました。窓からは外の景色が見え、久しぶりの青空も見えました。祈りは届いていると思います。

私がその祈りの場に向かうとき、妨害もありました。けれど私は冷静で、神様が私の足を向けてくださる方向に従っていき、そこにたどり着いたのです。ドーパミンは上がっていません。奇跡が起こっているのです。

長い闘いで、私が疲れて笑うこともできなくなっているのも神様はご存知です。私がお祈りをした後、早速次の行動に移ろうとすると、カードを通じて、休みなさい、スケジュールに余裕を持ちなさいというメッセージをくださいました。多分、十字架にかけられたイエス様を見たことで、お祈りしたことで、何かが始まったのです。まだそれが何かはわかりませんが、大きな崩壊と赦しと再建のプログラムのようなものではないでしょうか。

 

けれどもそれについて言いたいことがあります。イエス様は自分を憎むものまでも赦して、結果十字架にかけられたのです。全ての人が同じ目に遭ったらこの世は地獄のようになってしまいます。自分を憎み、殺そうとするものまでも赦すことをしなかったら、イエス様はもっと多くの人の心を癒し救えたかもしれないし、その可能性の方が大きいと私は思います。絶対の善も絶対の悪もないということがよく言われますが、それは戦争の話であって政治の話です。全ての生命を憎み滅ぼそうとする力は確かに存在します。それは生命にとって悪でしかない。生命がプラスの方向に向かおうとするエネルギーであるなら、マイナスに向かおうとするエネルギーはあるのです。多分、数学的に考えたらわかると思う。

私が今戦っているのは、そのマイナス方向へのエネルギーだと思います。そのエネルギーに囚われているのが日本の精神病院のシステムなのです。生命自体はプラス方向なので、そのシステムの中の人たちが全て悪いわけではないでしょう。けれどシステムは中にいる人々の行動を支配し、全体として生命を滅亡の方向へ誘導しようとするのです。そのような力とは断固戦わなくてはなりません。赦すことはありえないのです。

システムの崩壊は多大な損害をもたらします。けれど精神病院のシステムは、古い石造りのバベルの塔のようなものです。できれば人間〜責任者の手で壊すべきです。そうすれば本当に心の病気を治そうとしていて、けれどシステムの壁に阻まれて悩んでいるスタッフは救うことができます。それが赦しです。けれどいつまでも決められずに逃げていると、どのような形かはわかりませんが、裁きのいかづちが降ってシステムごと潰れ、大混乱に陥るでしょう。神様は、もうイエス様のような犠牲者は出したくないでしょうから。…もしかしたら、新型コロナの流行と関係があるかもしれません。私はこのパンデミック最後の審判のような気がしてならないのです。現世で悪い事を何もしていなくても、これまでの転生でカルマを消化できなかったと、そういうことかもしれません。私が覚醒してくると、患者数が一気に増えていくんですが、これも関係あるかもしれないです。私自身が何者かは自分でよくわからないのですが、この覚醒の仕方は只事じゃないです。